出発点(宮崎 駿)
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この文章は、プラットフォーム「Cosense」の一角をお借りして展開している、プロジェクト進行についての論考集「プロジェクト工学フォーラム」内の連載企画、「価値創造の思考武器」のコンテンツです。
価値とはなにか、価値を生み出すためには、いかなる思考が求められるか、ということを、本の紹介を通じて、解説しています。
今回の一冊:「出発点」
https://gyazo.com/b44f9548fbe13e1dda71a6d0ebd72e54
太陽に向かって「バカヤローッ!!」とかいって叫びながら走っていくのが青春じゃないんです(笑)。
自分がどういうものなのか、自分になにができるのかと自問すること、たとえば毎日絵を必死に描き、イケる、だいじょうぶだな、と思う反面、自分の絵がはたして通用するものなのかな、本当は錯覚で、自分には絵の才能などまるでないんじゃないか、とも思うわけです。その不安と焦燥の真っただ中で斑紋するのが青春なんです。
(「人」より)
この本のあらまし
中編アニメーション作品「となりのトトロ」の目指すものは、幸せな心暖まる映画です。
国際便の疲れ切ったビジネスマンたちの、酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる作品、それが「紅の豚」である。
本書は、アニメーション映画監督である宮崎駿氏の、エッセイ・企画書・演出覚書・対談・書評・インタビュー等を集め、テーマ別に再構成したものである。上記は、そんな本書で紹介されている、映画の企画書の冒頭。
世に出なかった映画の企画書も収録されている。企画書って、どうやって書けばいいんだろう、と、思った人は、見てみるといい。本書で紹介されている内容や書式が、全てに当てはまる標準や、絶対に目指すべき模範というわけでは、もちろんないが、それでもやはり、これだけ社会に大きな影響を与えたクリエイターの企画書が、どういう内容なのかは、見てみて損はない。
参考までに、その項目を紹介すると
企画意図
◯◯とは
なぜ、いま◯◯か?
あらすじ
音楽について
登場人物について
色彩について
美術について
といったところである。(もちろん、作品によって違う)
作品づくりにGOサインを出す人間も、手を動かして作品づくりに関わる人間も、この、企画書だけが、頼りである。
当然ながら、この後、絵コンテや原画を描いたり、修正したりする、自分にとっても。
企画書は、作品の出発点のことである。
本書のタイトルが「出発点」であることは、明らかに、そこに対して、自覚的である。
本書の「グッとくるフレーズ」紹介!
●爆音はうるさいし、排気ガスが客室に流れるし、エンジンのオイルまで飛んできて顔も服もベタベタ、しかも気流が乱れると機体がガタガタとゆれて、もうとてもじゃないが死にもの狂いで飛んでいるんです(笑)。それでも高い金を出して飛行機に乗りたいというのは、目的地に少しでも早く着くことができるためではなくて、飛んだ!という具体的な手ごたえをもって飛行場に降りられるからなんですね。昔、ぼくらが、ごくまれに漫画映画を見たときに感じた「ああ、漫画映画を見たんだい!」という感動とフォッカー・スーパーユニバーサルの乗客の感動とは同じだと思うんです。
●いまやアニメーションの世界は、ブームの時代を終えて、本当の大量消費時代に入った。つまり、なんというか、アニメの時代になってしまい、けっして漫画映画の時代じゃないという実感だけは、ひしひしと感じています。
●「うる星」をテレビで見て、そうたくさん見ていないんだけど、押井さんの二本ぐらい見たかな。面堂の家の中に攻め込んでいく話と、この前の”海なんかキライだぁ~”というの。あれ、おもしろかったですね。作画もじつによく描いていて。あの海描いた人なんか、波なんかもよく描いていて感心しました。テレビでもあれだけやるというのは、どういうことになるのかよくわかるから。
●結果的にみんなが何によってむくわれるかといえば、その作品がおもしろいか、おもしろくないかということだけなんですね。
●幸い僕らの職場はみんなブルーカラーですから、ゴルフの会員権を買って女房に秘密の借金ができたとか(笑)、そういう人は一人もいないです、このスタジオには。アニメーションなんて景気がよかったときは一度もないですからね。不景気だって言われてもピンと来ないんですよ。そういう意味では、端っこにいてよかったと僕は本気で思ってるんですけど。
●こんな時代に、我々はどんな映画を作ろうとするのだろう。生きるという本質に立ち帰ること。自分の出発点を確認すること。流転する流行は一段と加速するが、それに背をむけること。もっと、遠くを見つめる目差しこそがいま要るのだと、高らかに大胆に唱いあげる映画を、あえて作ろうというのである。
価値創造のために、この本から得たいこと
宮崎アニメというと、清潔で、前向きで、親子で安心して見れるもの、というイメージがある。
しかし、作っている御本人たちの発言を見ると、作っている人たちは、その逆である。
あの人達は、基本的に、全力で、時代に対して後ろ向きである。
あの人達の、作品を作る根本的な動機は、時代に対して、世間に対して、そうじゃねんだよという気分である。
あるいは、ありのままの自分達が、理想の逆である、という現実への自覚があるからこそ、せめて映画は美しいものを見たい。
だから、作る。
世間に物申したいから作る、自分が見たいから作るのであって、売りたい、儲かりたい、ということが第一義ではない。
一方、一作一作、しっかり売って利益を作らないと、次が作れない。
だから、売ることに対しては真剣である。
売ることと迎合することは、似て非なるものである。
売ろうとしたから売れた、ということではない。
売れてなるものか、と思った、ということでもない。
本当に、不思議な人達であるし、不思議な現象である。
押井守監督は、ジブリという現象は、正力松太郎から考えなければならないんだ、と、言う。
あるいは、鈴木敏夫は大衆を動員することにしか興味がないん、なんてことも、言う。
確かに、そんな一面も、あるのだと思う。
そのあたりのことも、冷静に考えていくヒントとして、本書と合わせて読みたいの本に、「ALL ABOUT TOSHIO SUZUKI 」「誰も語らなかったジブリを語ろう」といった本もある。
https://gyazo.com/b70147315e135200550e153d0a90ade3
https://gyazo.com/738004bf6f4b582f89b3293c2ee01262
いいものを作ろう、作られるべきものを作ろう。
そういう思いって、やっぱり、普通に、大事だよね、と、思う。
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